道案内上等

昔から道を尋ねられる事が多いように思う。
単に話掛けやすいのか、それともあまりに緊張感や警戒心が無いのやら、当の本人はその答えを存じ上げておりません。
先日などは1日に2回も全く違う場所で道を尋ねられ驚いたもの。
まあ、何事も困ってる人を助けてあげられる事は良い事だと思うし、聞かれた場所を答えられなかった事が無いのも不思議なものです。
知ってる所ばかり尋ねられるのですから。
「この人、知ってるな」
と相手が感じとる空気をビンビンに発しているのかもしれませんね、もしかしたら。

これもまた不思議で、遠い異国の地(主にヨーロッパ)においても現地の人に声を掛けられ、道を尋ねられたりします。
なんで、コテコテのアジア人に道尋ねるかね?
バスの行き先尋ねるかね?
まあ、華僑が多い都市なんかだと、アジア人も珍しくないので、ありふれた事なのでしょう。
『アジア人のいる風景』
別に素敵な響きでもないな、、、
『日常のアジア人』
これも違う気がする。というかこんなタイトルいらん。

このように、道を尋ねる為に声をかけてくれても問題ないですが、ご機嫌な外国人の某宗教の宣教師さんだけは、ちょっと迷惑です。
前から歩いてくる彼らを見つけると、僕の心は急に貝のように閉じてしまいます。
〈頼む。声かけるなよ、、、声かけるなよ、、、〉
といつも思っています。
でも、かけてくるねんな〜

ということで、なんとなく、喧嘩上等、、、
 

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